ねえ 誰より

穏便派厄介オタクの独り言

二階堂くんから卒業しつつある話

※2017年8月に書き殴って公開するのを忘れてた記事

 

「担当」というアイデンティティ

好きなメンバーを公言することは、より「そのメンバーを好きだ」という意識を育てるような気がしている。人間は色々なところから持ってきたシンボルを身につけて自分の個性を作り上げるらしい、と社会学の授業の中で聞いた。これに似たような議論は結構ある。(「社会圏」がキーワードになるはず)

私は、二階堂担であることをネットでもリアルでも公言して、二階堂担・キス担としてのコミュニティに属して、二階堂担であることがアイデンティティの一部になった。

だから、担降りした時は死ぬほど辛かった。なぜならそれはアイデンティティのひとつを自分から手放したということだから。担降り記事(二階堂くんを嫌いになった話 - ねえ 誰より)でも触れたけど降りてから数ヶ月本当に辛かった。多分つらさの原因の半分くらいはアイデンティティの喪失からきてたんだろうなと今になってしみじみ思う。

しかし担降りした後も、なんだかんだ二階堂くんは私の1番好きなアイドルであり続け、なんだかんだ周りも私を「二階堂くんが大好きな人」として扱ってくれた。おかげで「二階堂くんを好きなこと」はずっと潜在的に自分のアイデンティティのひとつだった。「二階堂担」としてのアイデンティティは葬られたけど「二階堂くんに詳しくて二階堂くんのことをよく見てて二階堂くんのことを大好きな自分」は捨てられていなかったわけだ。

 

第2のアイデンティティ喪失

しかし、ついこの前そんなささやかな「二階堂くんが大好きな私」というアイデンティティさえも失うような経験をした。

好きで好きで何回も観た『flamingo』の二階堂くんのマルチアングル映像。ここ数ヶ月忙しくて殆ど観られていなかったが、久々にゆっくりできる時間があったので二階堂くんのダンスの美しさを崇めようとした。ラストのソロダンス、何度も観たはずなのに突然全身に衝撃が走った。

それは、今までの私の烏滸がましさに気付いたことで受けた衝撃だった。

ー二階堂くんは遠い人だ。勝手に二階堂くんを自分のアイデンティティに取り込んでいるのは、なんて図々しいことなんだろう。

 

『flamingo』で二階堂くんの美しいダンスを観て、二階堂くんが遠い人であるということを今更強く感じてしまった。

私は二階堂くんのことを何万回も見てて二階堂くんやキスマイの存在そのものが日常の一部で、アイデンティティに取り込んでしまうくらいだったけど、向こうからしたら私は一度も会ったことのない(コンサートで視覚的には認知されたはずとは言えるけど)全く知らない人間だということ。そのことに今更気づいてしまった。実際は私の世界と二階堂くんの世界は交わってない。

コンサートには数回を足を運んでいたのに、生で観たくらいじゃそのことに気づかなかった。何度生で観ても、DVDを観ているときとあまり変わらない感覚。同じ空気吸ってるよ!って自分に言いきかせてもイマイチ実感が湧かない。薄い壁を一枚隔ててる感覚。

だから、こんな当たり前のこと、頭では理解してたはずだけれど、二階堂くんを好きになって7年目にしてようやく真に実感に迫った。

 

なぜ『flamingo』だったか。それは多分、二階堂くんただ1人が5万5千人に注目されてる瞬間だったから。

二階堂くんだけが長い時間、その場にいるキスマイファン全員の視線を独り占めしてる瞬間は意外とほとんど無いと思われる。二階堂くんがメインで歌ったり喋ったりしてても、ステージには他のメンバーやJr.がいることが多い。そんな滅多にない貴重な瞬間だからこそ、「5万5千人の注目を浴びる存在」としてのアイドル二階堂くんに感動して、部屋でBlu-rayを1人観る私とのスケールの違いをまざまざと感じてしまった。

 

アイドルと、オタクの日常世

 

生で会って「住む世界(比喩)違う人と生きてる世界(物理)が繋がってること」に気づく瞬間を実感したこともある。それは『Thank youじゃん!』リリース時のハイタッチ会のとき。

なんでコンサートと違って実感を得られたのか?それは多分、お互いを視認して手を合わせるというコミュニケーションがあったから。少なくとも私の場合は、コミュニケーションがあって初めて次元が繋がった実感が生まれるんだと思う。ハイタッチ会の時は藤ヶ谷くんがしっかり私の目を見てくれたから(横尾さんはあまり目が合わなかったけど)、「藤ヶ谷くんに視認された、同じ世界に生きてたんだ!」と興奮した。その衝撃はとても大きくて、藤ヶ谷くんにはその一回で自分の日常世界にいない人ってハッキリ感じて、その上で好きでいた。
でも二階堂くんとはコミュニケーションを取ったことがないうえ、自担だからやっぱり日常と非日常の境界が曖昧なくらい身近に感じてて、住む世界の違いに気づくのが遅れていた。

でも『flamingo』で5万5千人の視線を独り占めする二階堂くんがあまりにもかっこよくて、それで「あ、二階堂くんのことめちゃくちゃ知ってるし私の中で当たり前に近い存在だけど、こんなにカッコいい人、本当の意味で日常にいない。なんか二階堂くんのこと今まで偉そうに語ったりして、申し訳なかったな」って思って。

そして、少しずつ二階堂くんを知っていることに対する傲慢さを捨てつつある。

 

オタクとして生きる私の日常世界にあるアイドルとしてのキスマイと、現実に人間として生きているキスマイを切り離して考えて、「私の中ではキスマイはステージ上のアイドルであり別世界の人だ」と思いながら純粋に崇拝することはいっそ気持ちいい。

認知されたいとか繋がりたいとは思わないし、アイドルの彼らをアイドルのまま観ることが好きだから、このスタンスのままでいい。いいんだけど、二階堂くんのことが好きというシンボルを、私という人間を表現するときに私の個性の中で占める割合を更に減らしていきたいと思った。これが実現されたら本当の偶像崇拝めいたものになるような気がするけれど(笑)

 

 

…………いや書いてみたけど別に卒業してなくない?むしろ崇拝レベル上がってない?
拗らせおたくロードに先は見えない。